よわい個体

言語性優位の発達障害で感覚過敏持ちの私がよわいなりに日々を生き延びる記録

苛烈な恋の話/私、推しと繋がってました

夏ぶりにアイドルおたく時代の友達が遠征ついでに泊まりにきて、死ぬほど久しぶりに昔推してたユニットの映像を見せてもらうなどした。

私はそのユニットを丸々3年間くらい推していて、おたくをはじめて1年ちょいくらいで推していたメンバーと繋がり、あとの2年は推しのおたくであり、友達であり、使いっぱしりであり、メンタル管理人だった。(※繋がりとは様々な理由でメンバーと個人的に連絡をとれるようになってしまったおたくのこと。メンバーと交際しているおたくを指すこともある)

その頃の私の生活の中心は推しで、心の真ん中にもずっとずっと推しがいて、一生だいすきで死んでも側を離れるもんかと思っていた。推しが「あなたが近くに住んでたら楽しいからこっちに来て」と言ったから東京に仕事を見つけて上京したし、推しのマンションの徒歩5分の距離に住んだ。内見には推しも付いてきた。

とにかく頭がおかしくなるくらい好きで、どんな無茶も聞いた。推しから何か頼みごとをされる人という役割にしがみついて、その役割に依存した非常に不健康な間柄だったけど、推しが倒れて緊急入院したとき推しは連絡先に私の携帯番号を書いたくらいなのでたぶんそれなりの信頼関係があったんだと思う。推しは気まぐれに「いま世界であなたのことを一番信頼してる」などと言うこともあった。ちなみに、私が推しに言われたなかで一番エモいセリフは、恋多き女だった推しから言い寄られている男の話を聞いた後に言われた、「今度の彼はあなたに似てるから、ちゃんと好きになれると思う」である。言われた瞬間の、虚しさと痛さと悔しさと嬉しさの入り混じった何か大きな塊でぶん殴られたような感覚はいまもわりと鮮明に覚えている。

推しと連れ立っていろんなところに行った。夜の街で遊んだし、推しを好きという業界の男の子たちと戯れもした。推しは「この子めっちゃ可愛いでしょ!」と私を引き回したけど、どう考えてもブスめの一般人でしかなく、そのたび居た堪れない空気が漂った。海外旅行にも行ったし、おたくとしてイベントに参加したあと車を回して推しを家まで送ったりもした。互いの部屋を行き来して、合鍵を持ち合い、それぞれの部屋にそれぞれの吸う銘柄の煙草を置いてもいた。

強めの化粧をして、髪を巻いて、ヒールで推しの隣に居るのは楽しかった。お酒を飲みながら互いの煙草に火をつけあって笑う私と推しを、誰でもいいから鮮烈な映像として目に焼き付けて、いつまでも覚えていてほしいと願っていた。
でもそうやって推しの隣にいた私は、どの瞬間も真に私らしい個性を手放した姿で、そうして推しにふさわしい強いキャラクターを装わないと心が保たなかったのだろうなといまになって思う。

私は当時から自己肯定感を健やかに育てられてないマンだったので、推しとおたく出身の友人という、明確に「上」と「下」がある関係性にどっぷり浸かり「下」である自分に安心しながら、同時にいつも不安で怯えていた。推しがふっかける無理難題のうちひとつ、推しに返す言葉のうちひとつでも間違えれば即座に推しに捨てられるのではないかという怯えがあった。私が私に正しく価値を見出せていたら、もしかしたら推しと対等な友人関係を築けていたのかもしれない。いつも卑屈に怯えていた私は、推しにとってはさぞ面倒臭かっただろうなと思う。推し自身が相当な変わり者で、扱いが面倒臭い人物であったことも間違いないのだけれど。

推しがユニットを脱退して、私も現場から他界(おたくを辞めること)したころには、もう推しとの関係にも推しへの気持ちにも振り回されて疲れ切っていて、推しからの着信に出られなくなっていた。私は死ぬほど泣きながら、当時普及しはじめていたLINEで「もう会いたくない」と絶縁宣言をした。返事を待たずに推しをブロックし、削除した。勤めていたブラック企業を辞めて、少しのあいだ精神科にも通って、大阪に帰った。

総額何万円かけたか分からない推しとのツーショットポラを収めたファイルはガムテープでぐるぐる巻きにして捨てた。ただゴミ袋にぽいと入れて捨てるには執着がありすぎて、でもハサミで1枚ずつ切り刻むのは推しの顔がやっぱり好きで出来なくて、我ながら芝居がかったことをするなぁと思いながら、泣きながら笑いながらガムテープでぐるぐる巻きにして、捨てた。

私は推しと繋がってからも優秀なおたくを貫いた。推しのラストステージには企画を立てて、アキバのドンキホーテに電話して推しカラーのサイリウムの在庫を300本くらい抑えて、当日の来場者に配ったし、点灯タイミングの指示もした。推しの脱退と同時に潔く現場を去った私は、元々有名おたくだったのもあって未だに現場では「知る人ぞ知る」存在らしい。うける。

推しと縁を切って1年ほど経ったころ、見覚えのないアドレスからメールが届いた。LINEに移行する前に推しとやりとりしていたアドレスだった。「あなただけが私に優しくしてくれたのに、優しくできなくてごめんなさい。また仲良くしてくれたら嬉しいです」と書かれていたけど、私は残念ながらそのメールに対して「怖い」という感情しか抱けなかった。はじめの頃は他愛もないメールが一通届くだけで天にも昇る心地だったのに。その後も忘れた頃にメールは届いたけど全て無視した。もう推しを好きではない私は、推しが求める優しさを渡してあげることができない。

久しぶりに推しの映像を見て、本当に色んなことを思い出した。振りコピ勢だった私は未だにほとんどの振付を覚えていたし、推しが脱退したあとの映像では別のメンバーが歌う場面で「ここ推しの歌割りだったよね?」と自分でも驚くほどすぐに気づいた。

推しは破天荒で無茶苦茶で、歌もダンスもびっくりするくらい下手で、でも私は推しをアイドルとしてちゃんと好きだった。ツアーを全通して、最前列でサイリウムを振らないと気が済まないくらい、お金を積んでツーショットポラを撮らないと苦しくて死にそうになるくらい、レス(ファンサのこと)が来なかったり他のおたくにレスしてるのを見ると嫉妬で狂いそうになるくらい、アイドルとしての推しを好きだった。繋がっててもレスはほしいのだ。推しに振り回された年月は、たぶん間違いなく私の人生でマイナスで無駄な時間だったけど、あれだけ苛烈で鮮やかな恋は、もう二度と出来ないと思っている。

(いまの私は、恋愛感情というものは全て「気のせい」なんじゃないかと思うようになっているし、認知されるとロクなことがないから他のあらゆるアイドルをはじめとする現場に手を出さないようにしている。認知されてロクなことにならなかった出来事は、この推しの件以外にもあとふたつほどある。そのうちブログでネタにする)