よわい個体

言語性優位の発達障害で感覚過敏持ちの私がよわいなりに日々を生き延びる記録

宮木あや子おねえさまへ

大好きな小説家の宮木あや子さんへお手紙を書きました。

 

拝啓 宮木あや子おねえさま

 

おねえさま、お元気ですか。

私のことを覚えておいでですか。おねえさまがまだtwitterのアカウントをお持ちだったころ、よくお話をさせていただいていた者です。

おねえさまにあるアイドルユニットを紹介し、フリーライブにいっしょに行きましょうねとお約束させてもらっていた、あの私です。おねえさまはいつの間にかアカウントを消してしまわれて、私もあのアイドルを追いかけるのを辞めてしまいました。

 

私、おねえさまに謝らないといけないことがあるんです。

おねえさまが、まだ黒色すみれちゃんが店番をしていたころの「すみれの天窓」で一日店長をされたことがありましたよね。何年か前の、たしかクリスマスのことでした。

私は黒色すみれちゃんのことも大好きだったので、必ず行きます!っておねえさまにすぐリプライを送りました。

でも、当日私はおねえさまのお目にかかることができませんでした。

 

誰にも話していませんでしたけれど、私はあのころ、自分が追いかけていたアイドルユニットの推しメンと「繋がって」いました。友人として個人的に連絡を取り、ライブや握手会なんかの「現場」ではないプライベートな場所で会っていました。おねえさまが天窓で一日店長をされた日、推しのユニットのライブもありました。昼と夜の2回公演で、私は昼公演にだけ入って、夕方から天窓でおねえさまのお目にかかろうと思っていたのです。だから私はわざわざ地元から、ロリータファッションを着て出かけていました。あの日着ていた服、いまも覚えています。イノセントワールドの生成りのフリルのブラウスに、同じイノセントワールドの総レースのジャンスカを重ねて、リボンが編み上げになった模様のある白いニーハイソックスと、赤いストラップシューズを履いていました。だって、あの「すみれの天窓」で黒色すみれちゃんと宮木あや子おねえさまのお目にかかるのですから、ロリータで伺うことは私にとって当たり前のことでした。

昼のライブが終わり、ヲタ仲間に「今日は夜入らないんだ」と宣言し、天窓へ向かおうとしたとき、ライブハウスの楽屋にいるのであろう推しからメールが来ました。

「夜も来るでしょ?」

 

当時の私は繋がっている推しに精神的にものすごく依存していました。

自己肯定感が病的に低い私は、「推しと繋がっている」という他の人にはあまり起こり得ない事実に自分の存在価値を見出し、推しに固執し、推しから関係を切られることを何より恐れていました。またそんな依存心の強い私にとって不幸なことに、推しは感情の起伏が激しく、何かにつけてすぐ「そんなこと言うならもう会わないよ」と言い、そのたびに私は泣きながら謝罪するのでした。まるでモラハラ男とその女みたいです。今にして思えばかなりみっともなく情けないのですが、当時の私は必死でした。

 

さて、そんな推しに「夜は予定があるの」ということをいかに穏便に伝えるか考えて携帯を手にじっとしていると、追い打ちをかけるように続けてメールが来ました。「来ないとかありえないから」。私はそこで考えることを放棄し、おねえさまのお目にかかることより推しの機嫌を損ねないことを優先したのでした。

 

夜のライブはあまり楽しくありませんでした。終わったあとすぐに帰るのが嫌で、ヲタク仲間の女の子を誘って朝まで新宿二丁目で飲みました。クリスマスの二丁目は、思考停止して推しにしがみついている自分の愚かさを一時忘れさせてくれました。

帰宅してtwitterにアクセスし、昨晩のタイムラインをざっと見ていると、おねえさまのつぶやきが目に留まりました。天窓の一日店長の感想の最後に「来るって聞いてた読者さんでひとり会えなかった子がいたの、残念だったな」。おねえさまはそういった旨のツイートをされていました。私のことだ、と思いました。もしかしたら違うかもしれませんが、そう思いました。おねえさまのところに行くと言っていたのに行けなかったこと、未だに心残りです。本当はどこかの出版社宛に、おねえさまのお名前を書いてお手紙差し上げるべきなんですけれど、勇気がなくてこんなところに書いてしまいました。おねえさまはエゴサをする方だったでしょうか、思い出せませんが、この文章がおねえさまのお目に留まればいいなと思っています。

 

おねえさまのご本、どれも必ず初版で買っています。「官能と少女」に収録されている「コンクパール」は今まで読んだすべての小説のなかで一番好きな一篇です。息苦しさを感じながら生きているアラサーのお友達の何人に「野良女」と「憧憬☆カトマンズ」をセットでプレゼントしたことでしょう。みんな声を出して笑いながら泣きながら読んで、とんでもない感情のデトックスが出来たと口を揃えて言いました。

「校閲ガール」は読んですぐに「これは地上波の連ドラで見た過ぎる、主演は石原さとみだ!」と思いました。今回それが実現して、私はひとり予言者の気持ちで悦に入りました。

 

私、おねえさまの書かれるご本が大好きです。A面もB面も、どの作品も大好きです。

おねえさまのことがあらゆる人に見つかって、飛ぶようにたくさんのご本が売れればいいと思っています。水曜ドラマ「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」がアホほどヒットすることを心からお祈りしています。

 

敬具

 

宮木あや子さんの本はまじでめっちゃ面白いのでお勧めです。

 

今週のお題「プレゼントしたい本」



深呼吸の仕方がわからない君のこと

フィクションっぽいもの。

 

 

君はいつもひどく怯えていて、世の中の全てに混乱していました。

 

外を歩けば様々な音が君めがけていっせいに入り込んでくるし、人の足音や電車の振動は君が望んで感じたくもない震えとなって君の身体を不快に揺らします。

君はいつもその不快感と恐怖と、わけのわからない焦燥感に心臓を焼かれるようで苦しかったのでした。助けを求めて周りを見渡してみても、周囲の人はみんなそれを何とも感じていないようで、ひとり立ち尽くして呼吸を荒げる君を、まるで奇妙なものを見るかのように一瞬だけ見つめ、でも次の瞬間にはその興味も失って、そっぽを向いて歩き出すのでした。

 

ぼくは途方に暮れる君の手を取り、安全な場所へ導きます。大丈夫だから、落ち着いて、息をして、深呼吸だよ。ぼくの声に君は目を見開いたまま首を振ります。君は深呼吸の仕方を知りません。

鼻から息を吸って、ゆっくり。お腹に空気を入れて、そう。腰のあたりが膨らんだら、吐くのは口から、細く長く。

簡単でしょうと顔を覗き込みますが、君はますます苦しそうに顔を歪めるばかりです。

鼻から入れた息をお腹に送り込む、君ができるのはそこまででした。口から吐く、細く、と声をかけるのも間に合わず、君は大きな空気の塊をどっと口から吐き出します。焦って君は短く鋭い息を今度は胸に入れます。吐く息もまた大きく早くなり、呼吸はますます乱れ、君はもはや苦しそうな表情をすることもなく、ただ電池の切れたような、一切の感情が抜け落ちたがらんどうの顔で、ただ目からは涙を零し続けながら浅い息を繰り返しています。

 

慌ててぼくは君を自分の腕の中に引き寄せます。ほそいほそい身体に腕を回し、君の背中を撫でます。ごめんねと心の中だけで君に謝りながら。君は近頃ようやく自分が他の多くの人とは違う特性を持ち、ひどく生きづらい世界を生き抜くはめになったことに気づき始めました。君はずっと、世界はこんなに大変な困難に満ちているのに、他の人たちは混乱もせず生きていてとてもすごいと思っていました。平気な顔をしていられない自分の方に何か落ち度があって、例えば堪え性がないだとか、気合が足りていないだとか、とにかく大変なのは自分が怠け者で劣っているからなのだと信じていました。そうしてずっと、生まれてからずっと、自分を「良し」とできずに苦しい世界を生きてきました。

 

君は気づき始めている、君自身が決して「できるのにやらない怠け者」ではないことに。しかし生まれてからずっと信じていた、常識であるところの「自分は良いものではない」という思い込みを壊すことは、君にまた新たな混乱をもたらすものでもありました。だから君はこうして、ひどく混乱し、深呼吸がうまくできないというそれだけでまた「自分は良いものではない」という常識にかえろうとして、でももう君は真実に気づき始めているので更に混乱し、がらんどうの顔で涙を流すのでした。

 

背中を撫で続けていると、固い枯れた小枝のようだった君の身体は少しだけ柔らかく解け、静かな呼吸に波打ちはじめました。君はやっと感情を取り戻し、ぼくの胸に顔を擦り付けながら大きな声で泣き始めます。あたたかい涙がぼくの服を濡らし、あっという間にそこを冷やしていきます。ぼくはただ君の背中を、髪を撫で、君が泣き止むのを待っています。「自分は良いものではない」という誤った常識から抜け出そうとする、これは君の産声なのでした。

 

さて、きみよ。

小さなノートパソコンに向かってこの文章を綴るきみよ。きみはぼくの腕のなかにいる君です。きみとこの君は、ほとんど同じものです。

しかしきみにはぼくがいません。きみはまだ、深呼吸の仕方はおろか、声をあげて泣く方法さえ知らないからです。きみの産まれなおす日を、決して交わらない場所から待っています。

 

 

***

ストレス解消に深呼吸とかいうけど難しくないですか、というお話でした。

 

文章リハビリはじめます

まめに更新できないプレッシャーに押しつぶされてブログずっと非公開にしてました。

誰も読んでないのにね。

 

この度、仕事を辞めまして、絶賛無職を謳歌中なんですが。

ブログを開設したときくらいから、「自分」というものについて考える時間が増えています。ちょっと振り返ってみたら、「自分」のことをまるで知らないことに気づきました。自分のことを知るために色んな人や機関の助けを借りながら、自分の輪郭を獲得していきたいと思います。キーワードは「自己肯定感」。意識の高い人たちには、まだそんなところにいるの?と笑われそうですが、私にとってはこいつがもうずっと魔物のようにまとわりついているんです。

 

それでね。

まずは自分の好きなことを洗い出して、そこから自分を知ろうと思ったら、やっぱり私は文章を書くことが好きだなぁと再認識しました。

 

私は人に褒めてもらえることを選んで、より人に褒めてもらえる方に進んできました。

結果的には現在無職という誰にも褒めてもらえない状態なんですけども。

小さいころから一番人に褒めてもらってきたのが「文章を書くこと」でした。

書き始めたのは、何より自分が文章を書くのが好きだったから。

でもいつの間にか、書くことは人に褒めてもらうための手段になっていました。書いても褒めてもらえないかもしれないということが怖くて、いつの間にか書くことそのものから遠ざかっていったのでした。

 

でも、書くの好きだったよね、と思い出しまして。

書いてるときに訪れる、自分の書きたい結末に向かって電気が走るように次々明かりが灯っていく、あの瞬間をとても好きだったことを思い出したので、リハビリを始めます。

 

誰が褒めてくれなくてもいい、ただ自分が楽しむための文章を書きます。

性格診断をやってみたはなし

ツイッターで友達がやっていた診断結果が流れてきたので、自分もやってみることにしたんです。

 

ただ私はこの性格診断という類のものに苦手意識がありました。適職診断とか、強み診断とか、ストレングスファインダーとか、そういうもの全般。

 

こういうものはだいたい質問が二択になっていて、次々違う質問に答えていく形式だと思うのですが、終わりが見えない状態でぽんぽん質問に答えていくのが難しくて。ひどくあせらされるというか、「怖い」と感じてしまうことさえあります。

(「焦る」と書かずひらいたのは、「あせらされる」と受け身の形になると「じらされる」と同じ表記になってしまうから……意味ぜんぜんちがうのに。日本語のふしぎ……)

しかも聞かれる内容は「初対面の人と話すのが得意か苦手か」「自分は主観的/客観的だと思う」といった自分でも分からないようなことばかりで。

 

そう、分からないんです。

 

自分が主観的なのか客観的なのか(分かってないということは自分を客観視できていない=主観的?)、初対面の人と話すのは苦手だけど、うんと頑張って話すように努力していて、なまじそれが上手くいっているように見えているから他の人からは初対面の人と話すのが得意なコミュ力野郎だと思われている、からこの質問にはどっちで答えたらいいの??ってなってしまうのです。

 

そんなわけで今回も若干ぱにくりながら受けた診断がこちら。

 

INFP 人生の意味を追い求める者 | 辛口性格診断16

 

いきなり診断結果ですみません。

こっちの診断結果に「私ってそうなんだ……?フーン……?」と首を傾げながら友人に「私ってこうなの?」と尋ねると、「そのまんまだよ」という意見が複数寄せられたため、診断結果の名称を検索してみることに。

 

そしてヒットしたこちらのページ。

yourcalling.blog.fc2.com

 

こちらのページの記述はすごくしっくりきました。

こことか、

自分自身については、いつまでたっても「自分が考える理想」に届かない未熟者、というような意識を持っているようです。それだけ完璧主義者であるとも言えますし、また実際、自分の理想に向けて努力をする人でもあります。しかし自分自身に対する要求レベルが高すぎるあまり、いつまでたっても何もカタチにできない、という傾向が見られます。 

 

ここも。

自分で自分にダメ出しをする習慣を持っているにもかかわらず、同じことで人から批判されたり注意を受けたりすると感情的に受けとめてしまい、傷ついてしまいます。そんな時、このタイプの人はもともと平和主義者なので、言い返すなどして関係をこじらせるようなことはしません。そのかわり、その時の不満や怒り、悲しみを自分の内側へ内側へとため込み、何年でも心の中でくすぶらせている事が多いようです。

 

そして何よりも、

実際、自分自身でも理解が困難なくらい、このタイプは「わかりにくい」存在です。

ここ。

自分のことがわからないのも、特徴として解明されているんだ、と少しほっとしました。

 

私は自分がどんな人間かさっぱり分からなくて、そんな自分を「他の人よりずっと幼い」と思っています。甘ったれだし、わがままだし、根性も生活能力もないし、未だに雨の日に「空から水が落ちてくるなんて不思議だなぁ」と思ったりします。最後のはさすがに人に言ったりはしませんが。

 

でも、人から見た私は優しくて、大人びていて冷静で面倒見がよくて、頭の回転が速い人、だったりします。自分の思う私と人から見た私が乖離しすぎていて、ますますわけが分からない。

 

でも、分からないのも私の特徴なんだなと思うことができました。しかしこのタイプの人は生きづらそうですね可哀想に。私か。

 

少し書いてみたらいろいろ書きたいことがあったのを思い出しました。あと、自分が物を書くのがとても好きだということも。

 

今日も落涙しています

 

「自己紹介」からいったいどれだけ時間が空いたのか、というね。

三日坊主どころの騒ぎじゃないです。ひどい有様。

毎日ブログ書いてる人は偉いなぁ。と思います。

 

この「○○な人は偉いなぁ」という気持ちに追い詰められることがよくあります。

正社員で働いている人は偉いなぁとか、結婚してこどもを産んでる人は偉いなぁとか、恋愛してる人は偉いなぁとか。

自分をうんと下の方に置いて、自分の手の中にないものを見上げて、偉いなぁすごいなぁとバカなふりをして自分を傷つけてしまいます。

 

自分がまるきり何も持っていないわけではないのに、自分には何も価値がない、と誤解しがちです。

まぁ実際、結婚もしてなければこどももいない、非正規雇用のアラサーなんですが(字面が悲惨)(ついでに貯金もない)。

 

それでも、屋根のあるお部屋に住んでるし、好きな友達もいるし、私の書くものや作るものを好きと言ってくれる人もいます。それで充分、と思えればいいんですけどね。

まるで他人事のようにそう思います。

 

私の特徴として「繊細すぎる」というものがあります。

何かにつけ、死んでしまいそうなほど傷ついたり、絶望したり。涙がとまらなくて何も手につかなくなったり。現にいま、履歴書を送った会社に落とされて死ぬほど泣いてきたところです。

自己肯定感の低さと、あらゆることに過剰に傷ついてしまうところが、私の生きづらさの所以かなと思います。はぁ生きづらい。

 

生きづらさを解消するために働き方を模索して、とは思うのですが、とりあえず目先の生活を整えなければどうにもならないところがあって、自分をどんどん生きづらい場所に追い込んでしまっています。

いまの流れを断ち切るだけの勇気もパワーもなく、ただ泣きながら呆けていることしかできないのです。

生活に殺されそうだし、生きていくのが死ぬほど怖い。

 

本末転倒というかなんというか……

 

生きていきやすい道は、自分で探して選び取るしかないということが、頭ではよく分かっているんですが。

 

どうにもならず、落涙する日々です。

自己紹介【随時更新】

 

あまりにも当たり前すぎるかなぁと思いながら、ひとつめの記事を「自己紹介」とします。うまく書けるかわからないので、随時更新していこうと思います。

 

はじめまして、ミミ子といいます。

歳は20代、何かの言い訳のように「アラサーやで」というのを止めたい年頃です。仕事は非正規のオフィスワーク。(辞めました。いまは絶賛無職です)でも最近やっと自分がマルチタスク非対応の人間だと気づいたので、いまシングルタスクの仕事を探しているところです。もしかしたら発達障害かもしれなので、近いうちに診断を受けようと思っています。

 

趣味は読書、舞台鑑賞。学生のころの専門は演劇評論で、演者も作家も演出も舞台美術もかじっています。現在ボランティアで「役者さんとファンの方を繋ぐお手伝い」をしています。(こちらも辞めました。仕事量と人間関係に耐えられなくなったので)

舞台で演じられるものは、なんでも好きです。アングラ演劇から小劇場からミュージカルから、文楽や歌舞伎まで。寄席に落語も聞きに行きたいです。(落語は何度か寄席に行きました。すっごい楽しかった)

 

あとはややスピリチュアルな趣味というか、宝石やパワーストーンが好きです。

自分で石の浄化・選定・アクセサリー制作までします。宝石鑑定の資格取りたい。

ややスピついでに、いわゆる「引き寄せ」の類にも興味があります。

 

メンタルが弱いです。十代のころ、自意識を全部リセットせざるを得ないほどキッツイいじめに遭ってから、すぐに心が折れるようになってしまいました。それ以前から大きな音や声、過度な匂いや光、肌触りのよくないものは苦手だったのですが、より我慢することができなくなりました。

 

苦手なもの、怖いものが多いです。

悪い意味で圧倒されて、混乱してしまうことがよくあります。

扱いづらい自分のご機嫌をとるために、日々工夫をこらしたり、たまにギャン泣きしてみたりしています。

 

何も考えずに書いてみたら随分暗いというか、おとなしい感じの文面になってしまいました。書いている本人はノリが全て、とまではいかないけど笑いをとるのが好きな関西人です。

 

趣味のこと、生きづらさの解消、なりたい自分について、やりたいことについて、考えたことに読んだ本のことなど、無理せず書いていきたいと思います。

 

ではまた。